東京地方裁判所 昭和49年(ワ)10177号 判決 1977年10月25日
原告 富塚四郎
右訴訟代理人弁護士 澤邦夫
同 岡崎幸祐
被告 森重道
<ほか二名>
右被告三名訴訟代理人弁護士 谷川八郎
同 谷川浩也
同 伊藤龍弘
主文
一 被告らは原告に対し金三〇〇〇万円及びこれに対する昭和四一年八月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告らの負担とする。
事実
第一申立
一 原告
主文第一、二項と同旨
仮執行宣言
二 被告ら
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二主張
一 請求の原因
1 被告らの被相続人である亡森伝次郎は昭和三五年七月二五日頃同人が主宰していた森物産株式会社を債務者とし、同人所有の左記物件を共同担保として全国信用金庫連合会から金三〇〇〇万円(第一順位)、中央信用金庫から金一二〇〇万円(第二順位元本極度額は金一八〇〇万円)の計金四二〇〇万円を借受けた。
記
府中市本宿一丁目三五番五ほか宅地約三八〇〇坪
台東区上野広小路 宅地約一一五坪
神奈川県津久井郡津久井町所在山林 約一万坪
2 ところが森物産がその支払をしなかったため全国信用金庫連合会は東京地裁八王子支部に対し競売法による競売申立をなし、昭和三七年八月二三日同裁判所において競売手続開始決定がなされ、その旨の登記がされた。その後同年九月二九日全国信用金庫連合会は債権と共に前記抵当権を中央信用金庫へ譲渡した。
3 森伝次郎によれば前記物件の評価総額は五億円余(上野の宅地二億三〇〇〇万円、府中の宅地二億四七〇〇万円、津久井の山林二五〇〇万円)に達するが、競売の場合には非常に安価に競落される虞れがあるから中央信用金庫に対し元利金を支払って担保の肩代りをして呉れる融資者を探していたところ訴外森脇将光を紹介され、昭和三八年五月頃同人から七五〇〇万円を借受けることになった。森伝次郎は右借受金をもって中央信用金庫に元本金四二〇〇万円と利息を支払い残金約三〇〇〇万円を前記上野の宅地の使用者に対する立退料に充て同宅地を更地として処分し、その代金をもって森脇に対する債務を支払う予定でおり、森脇もこれを了承して前記消費貸借契約が成立したものである。
4 ところが森脇は森伝次郎に直接金を渡せば他に費消してしまう虞れがあるから森脇自身が直接中央信用金庫に元利金を支払い抵当権並びに競売登記を抹消して同人を債権者とする抵当権設定登記をなす、また立退料に充てる予定の三〇〇〇万円は立退の話合がつくまで森伝次郎の娘の名で銀行に預金し、通帳、印鑑は森脇が保管すると云い出し、森伝次郎も止むなくこれを了承して登記手続に必要な委任状、印鑑証明書等を森脇に交付した。ところが森脇は約に反して前記担保物件全部につき昭和三八年五月二一日売買を原因として同人の主宰する訴外光興業株式会社名義に所有権移転登記をなし、中央信用金庫に対しては前記債務を支払って同金庫の抵当権登記と競売登記を抹消した。他方、立退料に充てる予定で銀行に預金した三〇〇〇万円についても森脇は森伝次郎に無断で勝手に引出してしまった。かくて森伝次郎は五億円余に達する前記担保物件全部を中央信用金庫に対する債務の肩替りだけで取られてしまい、そのうえ府中の本宅からも立退かさせられて全くの無一物となり、そり日の生活にも追われるような窮状に追い込まれた。
5 原告はかねてから訴外天野義博と知り合いであり、同人は森伝次郎とも知り合いであったところから、昭和三九年五月頃天野は原告に対し森伝次郎の前記の事情を話し同人は森脇を告訴するほか民事訴訟を提起して前記物件の取戻しを策しているが、担保となるべき物件はすべて森脇にとられて融資をうけるすべもないうえ生活に困窮して訴訟費用もない状態であるから何とか相談に乗ってほしいと懇請した。原告は天野の紹介で森伝次郎に逢って事情を聞いて同情し、その時にはとりあえず五万円を交付した。その後森伝次郎はしばしば原告を訪れ森脇に対する訴訟等の提起につき協力を求めたが、原告は相手が当時悪辣な金融業者として広く知られていた森脇であると聞いて躊躇していたところ、同年秋頃にいたっても他に協力者が見付からないらしく原告に対し熱心に協力方を懇請し、民事訴訟の提起について弁護士に相談したところ着手金も報酬も事件解決後でよいから訴訟印紙代だけ出すようにいわれているので印紙代約三〇万円を出して欲しい、その代りに勝訴のあかつきには得た利益の半分を原告に進呈するからとの申出を繰りかえすので原告も森伝次郎のいうとおりなら協力してもよいと考えて実情を調査し弁護士の意向も確めたうえで昭和三九年一二月初旬頃森伝次郎との間に原告は訴提起に必要な印紙代及び訴訟終結までの同人の生活費を出捐する、森伝次郎は勝訴のあかつきに得た利益の半分を原告に提供するとの利益分配契約の合意が成立した。そして次のとおり森伝次郎に対し金員を出捐した。
昭和三九年一二月二二日 金三〇万円
同四〇年二月二〇日 金五万円
同年四月九日 金三万五〇〇〇円
同年四月二二日 金六〇〇〇円
同年五月三〇日 金七万円
同年六月七日 金三万円
同年七月一八日 金三万円
同年九月六日 金三万一〇〇〇円
同年一〇月二五日 金三万円
同年一一月一〇日 金二万円
同年一二月二八日 金三万円
昭和四一年二月一〇日 金二万円
同年三月五日 金三万円
同年五月二日 金三万円
同年五月一八日 金八〇〇〇円
同年五月二七日 金五〇〇〇円
同年六月七日 金一万円
合計 金七三万五〇〇〇円
6 かくて森伝次郎は訴訟提起を弁護士に依頼し、昭和四〇年一月二六日東京地裁八王子支部に対し前記担保物件全部につきなされた所有権移転登記抹消登記手続請求事件を提起し、同年同月二八日訴提起による所有権移転登記抹消予告登記がなされた。ところが森脇は同年六月頃一般に知られているとおり脱税等で検挙勾留され、他方、国は同年七月一二日前記物件全部につき処分禁止の仮処分をなし、翌四一年三月三一日前記物件は前記光興業株式会社の所有ではなく株式会社森脇文庫の所有であるとし、同文庫に代位して所有権移転登記をなし、同日国税滞納処分によってこれを差押えた。以上の次第で前記訴訟には大蔵省が介入することになったので森伝次郎は大蔵省とも話し合い、その結果同年六月一五日株式会社森脇文庫ならびに光興業株式会社との間で森伝次郎が示談金七〇〇〇万円と和解成立の日から完済まで日歩二銭の割合による延滞利息を支払い、前記両社は前記物件全部の所有権が森伝次郎に存することを認め、建物明渡、土地引渡をなすこと及びこれら物件についてなされた所有権移転登記ならびに仮処分等登記を抹消する旨の和解が成立し、同月二〇日登記の抹消がなされ、建物明渡、土地引渡もなされて森伝次郎は首尾よく前記物件全部を取戻した。
7 ところで森伝次郎が取戻した物件価格は次のように評価される。
(1) 東京都府中市本宿一丁目の宅地と建物のうち土地だけについて考えても、これに近接する府中市本宿四丁目一一番地の昭和五一年三月における地価公示価格は一平方米当り金六万八八〇〇円であるからこれと同価格と考えられ、和解の成立した昭和四一年六月当時の価格は市街地価格推移指数表に基づき逆算すると一平方米当り一万九一〇〇円から二万円となり、したがって前記土地三一二三坪の価格は一億九六七四万九〇〇〇円ないし二億六一一万八〇〇〇円となって土地だけでも約二億円の評価である。
(2) 次に、東京都台東区上野三丁目の昭和四一年六月当時の価格は、昭和五一年三月の地価公示価格が一平方米当り二三三万円、前同様の方法で逆算すると、この土地一一五・三三坪の価格は二億四六三一万七二〇〇円と評価される。
(3) その他津久井の山林約一万坪、府中市本宿の建物六〇坪を加算すれば昭和四一年六月当時の全物件評価格の合計は五億円をくだらない。
そこで和解で定められた示談金七〇〇〇万円とその利息を差引いても森伝次郎の得た利益は四億円をくだらないから前記利益分配契約にしたがい原告のうけ得る分配額は二億円をくだらないものである。この金額が決して不当なものでないことは府中都市計画街路一、三、一街路築造事業に伴い前記府中の宅地のほんの一部の地下道部分の補償金として二億七〇〇〇万円余が支給されていることからも窺い知ることができる。
8 森伝次郎は昭和五〇年五月一日死亡し、被告らはその実子として各自三分の一の割合により森伝次郎の遺産を相続した。
9 よって原告は前記利益分配契約に基づき被告ら三名に対し前示分配金のうちそれぞれ金一〇〇〇万円合計金三〇〇〇万円とこれに対して前記各物件を取戻した日の後である昭和四一年八月一日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 答弁
1 請求の原因1、2は認める。
2 同3は評価の点は不知、その余の事実は認める。なお、支払債務は中央信用金庫に対する元本四二〇〇万円の債務と利息以外に訴外伊藤某に対する債務三〇〇万円があった。
3 同4のうち森伝次郎が前記物件の登記手続に必要な委任状、印鑑証明書等を森脇に交付したこと、前記物件につき昭和三八年五月二一日売買を原因として森脇の主宰する光興業株式会社名義に所有権移転登記がなされたこと及び中央信用金庫に前記債務を支払って同金庫の抵当権登記と競売登記を抹消したことは認めるが、その余は知らない。
4 同5のうち森伝次郎が訴外天野と知り合いであったこと、昭和三九年五月頃原告から五万円を借受けたこと及び原告主張の如く合計金七三万五〇〇〇円の金員を借り受けたことは認めるが、利益の半分を提供すると約束した点は否認し、その余の事実は不知。
なお、原告主張の利益分配契約なるものは原告が当初訴状において主張していたとおり贈与契約にほかならない。原告は被告が書面に依らざる贈与の取消の主張をするや、急拠、右契約は中世イタリアにみられたコンメンダに近い無名契約でその内容は森伝次郎が自己の名で訴訟を提起し追行するという事業に対し、必要な資金を出資し、事業成功の暁には利益を折半するという合意である旨主張して贈与契約の主張を撤回したが、前記のとおり被告は予備的にしろ贈与契約の成立を援用しているのであるから、右撤回は許されないものである。
5 同6は認める。
6 同7は全部争う。なお、森伝次郎は森脇側との前記和解による示談金七〇〇〇万円と和解成立の日から完済まで日歩二銭の割合による延滞金支払のほかに次のとおりの金員を支払った。
(1) 前記和解成立につき裏金として森脇側に五〇〇万円、森脇側弁護士報酬として五〇〇万円合計金一〇〇〇万円を支払った。
(2) 森伝次郎は森脇側との前記和解による示談金調達のため訴外中村寿一が代表者であるユニオン真珠株式会社との間で融資契約をなし、同社が平和相互銀行から一億円を借受けて森に融資することとして、森は連帯保証人兼担保提供者となり、その所有の前記物件全部に抵当権を設定したが、中村は前記和解による示談金のうち三二〇〇万円の支払しかしなかった。その後平和相互銀行は債務の弁済がないとして任意競売の申立をなしたので森は債務協定調停の申立をなすとともに訴外内海某から供託金を借用して任意競売手続の停止を得、一億一八五〇万円を支払うことで調停を成立させた。
(3) 一方、前記中村は森から融資を求められたのを奇貨として債権者村田真珠株式会社、債務者ユニオン真珠株式会社、連帯保証人森、前記物件を担保にして、勝手に金一億五〇〇〇万円を借用した旨の公正証書を作成していたが、支払ができなかったため、村田真珠は前記物件に対し強制執行をなしてきたので森は請求異議の訴を提起するとともに前記内海より供託金を借用して手続の停止を得た。該訴訟は森が一審勝訴し、控訴されたが、控訴取下により確定した。その間東京都の道路問題が発生したので道路敷部分についてのみ村田真珠と示談し、示談金一五〇〇万円を前記内海より借用して支払った。
(4) 森伝次郎は道路敷部分の補償金として東京都から二億七三四一万一九二五円の支払を受けたが、これは村田真珠との示談金一五〇〇万円、平和相互銀行債務支払金一億一八五〇万円、森脇関係の東京国税局への支払分九二〇〇万円、村田真珠控訴取下のための示談金六〇〇〇万円、合計金二億八五五〇万円の支払の大部分に充てられた。
7 同8は認める。
三 抗弁
1 前記のとおり原告主張の利益分配契約は書面に依らざる贈与契約にほかならないから、本訴(昭和五〇年一一月七日本件第七回口頭弁論期日)においてこれが取消(撤回)の意思を表示する。なお、被告らは森伝次郎の相続人であるから取消すことができるものである。
2 然らずとしても森伝次郎の借用元本は七三万五〇〇〇円に過ぎないのに得た利益の半分(本訴ではそのうち三〇〇〇万円を請求)という莫大な利益を得られるとする前記契約は暴利行為として公序良俗に反し無効である。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1は争う。原告と森伝次郎間になされた契約は森が自己の名で訴訟を提起し追行するという事業に資金を出資し、事業成功の暁には利益を折半するという無名契約であって贈与契約ではない。なお、原告は当初、右契約を贈与契約と主張し、これを撤回したが、同一事実関係にもとづく法的評価の相違により撤回をなしたものであるから、撤回は許される。
2 同2も争う。一見苛酷なようにみえるが、契約の趣旨からして暴利行為として非難されることはない。
第三証拠《省略》
理由
一 争のない事実
請求の原因1、2の事実、同3のうち担保肩代りの融資者として森伝次郎が森脇将光を紹介されて同人から七五〇〇万円を借用することになり、そのうち約四五〇〇万円を債務の支払に、残余の約三〇〇〇万円をもって上野の宅地使用者の立退料に充て、同宅地を更地にして売却した売却代金をもって返済する約定のもとに両者間に消費貸借契約が成立したこと、同4のうち森伝次郎が原告主張の物件につき登記手続に必要な委任状、印鑑証明書等を森脇に交付し、昭和三八年五月二一日売買を原因として右物件が森脇の主宰する光興業株式会社名義に所有権移転登記がなされたこと、森伝次郎が中央信用金庫に債務を支払い、同金庫の抵当権登記と競売申立登記を抹消したこと、同5のうち森伝次郎が天野義博と知り合いであり、昭和三八年五月頃原告から五万円の交付を受け、原告主張の如く同年末から昭和四一年六月にかけて合計七三万五〇〇〇円の交付を受けたこと、同6の事実、同7のうち森伝次郎が東京都から道路敷補償金として二億七〇〇〇万円余(正確には二億七三四一万一九二五円)の支払をうけたこと及び同8の事実は、いずれも当事者間に争がない。
二 利益分配契約の成否
(一) 事実の経過
前記争のない事実に《証拠省略》を総合すると次の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》
1 森伝次郎と森脇将光間の前記消費貸借契約は昭和三八年五月中になされ、具体的には森が株式会社森脇文庫に前記物件全部を代金五六七八万円余で売却し、約二ヶ月後に六七〇〇万円を支払って買戻すことができる。別に三〇〇〇万円の立退料充当分は森の娘千枝子名義で東海銀行東京支店に預金するが、これは右貸金の担保として森脇文庫が通帳、印鑑共に保管し、同金庫は自由に出し入れができ、平均的に三〇〇〇万円の預金が存するように配慮するが、これは同文庫の絶対的義務とはしない旨の甚だ森脇側に都合のよい条項が定められていたようであり、そのうえ同年五月一五日には川崎簡裁で右の趣旨に追加して買戻期限従過後は府中の自宅の明渡義務を負担する旨の即決和解も作成され、これに基いて森は都内の森林公園にも匹敵するような広大な敷地を有する府中の自宅から立退かされ、府中市内の親戚の家に家族共に身を寄せるにいたった。
2 したがって結果的には前記物件全部が僅かに五六七八万円余の金員で森脇の手に帰し、森は自らは無職で住むに家なく、息子は大学生、娘一人だけが働いているものの路頭にまよう状態で僅かに親戚の援助にたよって糊口をしのぐような有様となったので森脇に対する恨は凄く、物件取戻の意欲は執念となり、毎日府中の自宅内に設置したお稲荷さんに参詣すると共に広く協力者を得てその取戻を策した。
3 天野義博は森の古くからの知人で昭和一九年か二〇年頃に一時期森の経営する会社に雇傭され、以来一貫して昭和五〇年二月まで交際のあったもの、原告は同人の知人で「あさひ興業株式会社」を経営しているが、昭和三八、九年頃同社は映画館を経営していた。昭和三九年五月頃原告は天野を介して森を紹介され、同人より前記の事情を説明され、協力を要請された。同人ならびに天野の説明を要約すると、前記物件の総評価額は五億円を下らないのに僅か六〇〇〇万円足らずの金で森脇にとられ、民事訴訟の手段によらなければ到底取戻しはできない。弁護士は印紙代だけ負担したら報酬や費用は後払いでよいと云っているので印紙代三〇万円と月々の生活費として応分の出資をして貰いたい、勝訴の暁には得た利益の半分を提供するというものであった。原告は当初は半信半疑の状態で、そんな莫大な利益を提供するなら他に協力してくれる者も沢山いるだろうし、有名な高利貸の森脇が相手ではと躊躇していたが、森が前記契約書などの書類を持参して執拗に協力を要請するので実状の調査をすることにし、弁護士(本件被告ら代理人でもある)に面会して印紙代だけで訴訟をやって貰えるかを確めたり、府中の自宅を見に行ったり森が交付した書類を検討したりして、同年一二月末頃遂に協力することに決し、印紙代三〇万円と月々の生活費を出資し、森は勝訴したら得た利益の半分を提供するという契約が成立し、森はその旨公正証書の形で明らかにしてもよい意向を示したが、結局、書面は作成されなかった。当時原告の経営する映画館の支配人の給料が月三万円ぐらいであったから森に交付する生活費の分は同額位を予定し、原告は同年末から昭和四一年六月頃まで大体それを目安に前記のとおり森に金員を交付したものである。
4 かくて昭和四〇年一月に森は森脇側を相手に民事訴訟を提起し、原告も訴訟の進展に重大関心をよせて度々傍聴していたが、同年六月森脇が脱税等で逮捕され、大蔵省が関与することになって事件は急転直下和解で解決するようになったことは前記のとおり争がない(請求の原因6)。その後は和解金七〇〇〇万円と日歩二銭の延滞金支払のための金策の問題となり、森はユニオン物産株式会社の中村寿一に依頼して前記物件を担保に金融を得、和解金を支払う予定で中村のところへは原告も森に同行したこともあった。これは右のような多額の金融は原告の手に余ることであり森もそのことを知っていたので他に融資の方法を求めたものであったが、森は折角の融資金も中村から費消されたりしてその解決に忙しく今迄度々生活費を貰いに来ていた原告のところへは昭和四一年六月を最後に以後は寄りつかなくなった。しかし交渉が全く切れたわけではなく、その後間もなく森の妻が死亡した際には原告や天野は葬式に参列し、森から葬式が自宅で出せると感謝された。その頃には仲介の責任から天野が約束どおり半分貰うよと申出たことがあり、これに対して森は、そうはいかんよ、踏み倒すことはしないと答えたり、東京都の補償金が二億八〇〇〇万円ほど入るので、その時に支払うようなことを云っていたので天野としては他の借金等を控除して残った分の半分くらいは呉れるつもりと解していた。
(二) 契約の趣旨
前段認定の事実によれば、原告と森の契約の時点では、森が提訴を予定している物件取戻訴訟における勝訴の可能性、訴訟完結までの期間、原告の支出金額が幾何になるか等そのいずれをとっても不確定要素が多く、前記契約自体原告にとっては「有」か然らずば「無」という極めて投機性の強い、いわば「賭け」に近いものであったといわねばならず、他方、藁をも掴みたいような森伝次郎の置かれていた立場を考えると、原告と森間になされた契約は森の提起追行する訴訟のため原告がその主張の如き出資をなし、森が勝訴の暁には得た利益の半分を提供する趣旨の出資ならびに利益分配の無名契約と解するのが相当であり、契約自由のもとでかかる契約が許されないとする根拠はない。
そして前認定の事実からすれば、右契約の趣旨は法律上物件の所有権が森に帰属することが明らかとなり森がその支配を回復した時点で物件に付された一切の負担ならびにこれに要した費用を控除した残りの半分を提供するというものであったと解される。
(三) 贈与の主張の撤回の許否
被告らは、原告は前記契約を当初贈与と主張しながら、被告らから書面に依らざる贈与の取消の主張をうけるや、急拠、右契約は中世イタリアにみられたコンメンダ契約に近い無名契約である旨主張して贈与契約の主張を撤回したが、被告らは既に予備的にしろ贈与契約の主張を援用しているから右撤回は許されない旨主張する。右の如き経過を辿ったことは本件訴訟の経過にてらし明らかであるが、贈与と云い、利益分配契約というも、これは契約名称の相違ないし法的評価の差異に過ぎず、事実関係に異動があるわけではないから自白の拘束力のような効力が認められる余地はなく、被告らのこの点の主張は失当である。
三 抗弁
被告らは、前記契約をもって、(1)書面によらざる贈与であるから取消す旨、(2)暴利行為として公序良俗に反する旨抗争するが、いずれも理由がないことは、さきに判断したところから明らかであり、右抗弁はいずれも失当である。
四 利益額の算定
(一) 前記契約の趣旨からすれば、森脇側が前記物件は森の所有に属することを認め、建物明渡、土地引渡をなし且つ所有権移転登記ならびに仮処分等登記を抹消することを約した和解が成立しこれに基いて森が物件に対する支配を回復した昭和四一年六月二〇日の時点(以上の事実は争がない)が利益額算定の基準日となる。ところで前記物件の当時の時価が幾何であったかを直接明らかにする資料はないが、ほぼ次のように推認される。
1 府中の宅地について、《証拠省略》によると、昭和五一年四月一日現在の公示価格は周辺地域のそれからみて一平方米当り六万八八〇〇円が相当であり、成立に争のない甲第二二号証の市街地価格推移表から逆算すると昭和四一年三月時点で一平方米当り一万八九一五円余、同年九月時点で一万九四七八円余となるから同年六月時点はその中間値をとると一万九一九六円余(坪当り六万三三四八円余)となり、これに成立に争のない甲第一一号証から明らかな総面積三一三二坪を乗ずると一億九八四一万円余となる。
2 上野の宅地について、《証拠省略》によると昭和五一年四月一日現在の公示価格は一平方米当り二三三万円であり、前記市街地価格推移表から逆算すると昭和四一年三月時点で六四万六〇一円余、同年九月時点で六五万九六七〇円余となるから同年六月時点はその中間値をとると一平方米当り六五万一三五円余(坪当り二一四万五四四五円)となり、これに前記和解調書で明らかな一一五坪一合五勺を乗ずると二億四七〇四万円余となる。もっとも上野の宅地には借地権者がいるから底地価格をその三割とみると七二〇〇万円くらいとなる。この点につき被告森重道は三五〇〇万円くらいで借地権者に買上げて貰った旨供述しているが、安価に過ぎて評価額の基準としては採り得ない。
3 そのほか津久井の山林、府中の建物などがあるが、その評価額を明らかにする確たるものはない。
以上によると(3)の物件を除外しても、ほぼ、二億七〇〇〇万円の価格を算定することができる。
(二) これに対して和解調書に定められた森脇側に対する支払分七〇〇〇万円とこれに対する和解成立の日から日歩二銭の割合による利息金と弁護士費用が控除すべき一番大きな負担ということになるが、前記時点でこれらを差引評価しても森伝次郎の得た利益額が一億円をくだるものとは考えられない。もっとも支払時期の如何によって利息額は左右されるので、本件の如く支払が後日に持越された場合には公平の観点からその支払期までに発生した事情の変更も斟酌せざるを得ないことになる。《証拠省略》によると、森脇側に対する前記支払は森伝次郎が生存中の昭和四八年七月一九日東京都から府中の宅地の地下を通る都道補償金二億七〇〇〇万円余が支払われた頃そのうち約一億円があてられ、残余は、その間ユニオン真珠株式会社の中村寿一の使い込みや村田真珠株式会社に対する無断担保提供を原因とする訴訟の解決等のため平和相互銀行に一億一八五〇万円、村田真珠に一五〇〇万円支払われて、さきの土地のみでも二億七〇〇〇万円となる評価額それ自体は手付かずで残っていることが認められる。被告森は他にも相当額の負債があるような供述をするが、その主たるものは昭和五一年五月一日森伝次郎の死亡に伴う相続税と弁護士費用であり、被告森は相続額が幾何で相続税がどれほどかかるか等の明細を明らかにすることを拒んでおり、また、弁護士費用が幾何になるかは、これまた明らかではない。しかし相続税は本来算定すべき控除額の中に入らないし、算入すべき弁護士費用以外の控除額があると仮定しても、その時点では前記市街地価格推移表にみられるとおり土地の評価額が二倍以上三倍近く値上りしているから基準時点での評価額が手付かずに残っているとしても可笑しくはない。そうすれば前記二億七〇〇〇万円の評価額から弁護士費用を控除しても、原告が請求する三〇〇〇万円の倍額である六〇〇〇万円が森伝次郎の手許に残ったであろうということは容易に首肯できるところである。ちなみに被告森重道は相続税を支払っても約一億円が残り、そのうちから弁護士費用を支払わねばならないようなことを供述しているが、他方、府中の宅地のうち約四分の三を六億円で売却してマンションを建築する予定で既にその計画が具体化しているようなことも供述しており、これらの供述部分からしても弁護士費用を支払って、なお、前記六〇〇〇万円以上が残ることに変りはないと思われる。
五 以上の次第で森伝次郎の相続人である被告ら三名に対し各自一〇〇〇万円合計三〇〇〇万円とこれに対する前記基準時後の昭和四一年八月一日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の本訴請求は理由があるから、これを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用しし、なお、事案にかんがみ仮執行の宣言は付さないこととして主文のとおり判決する。
(裁判官 麻上正信)